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2007年05月30日

people39

ハワイ文化の継承者であり、語りべである ケリイ・タウア氏。
現在、日本にやってきている「ホクレア」にも深く関わっています。
カフナと聞いていたので、怖い印象もありましたが、とても、チャーミングな方。
一時、体調が悪いと聞いていましたが、LOMI LOMIによって今はすっかり元気だそうです。
結婚もなさって楽しそうでした。いつも、若い奥さんと一緒です。
6月にはホクレアを出迎えに横浜に来る予定と言うことでした。

ハワイ文化のお話、たっぷりお楽しみください。 

Keli'i Taua(ケリイ・タウア)
1942年生まれ。 ハワイの名門、カメハメハ・スクールを卒業。 1975年、ハワイ大学でPacific Island Studiesの修士課程を卒業。 カリフォルニア州のコロンビア・パシフィック大学にてHawaiian Philosophy(ハワイ哲学)の博士課程を修める。
教育者として、23年間ハワイの公立及び私立小学校、高等学校、大学など様々な教育機関でハワイ文化をはじめ、ハワイ語、ハワイアン・ミュージック、フラなど、幅広く教育活動に携わっている。その活動は、ハワイ文化に係わる教育者にとどまらず、若者の就職カウンセリングや教育支援をするホノルル州郡カウンセラー、ハワイの文化・概念についての講演、ハワイアン・ミュージックの作詞・作曲、プロデュースなどでも活躍している。
さらに、ハワイの重要な司祭の一人として、冠婚葬祭、星の位置を頼りに航海をしたといわれる二重船側艇「ホクレア号」の進水式など、ハワイの神聖な儀式において重要な役割を担っている。
また、学術的なハワイ研究者、教育者である傍ら、チャントと呼ばれる詠唱やフラにおいて、アンティ・マイキとして親しまれているMaiki Aiu Lakeをはじめ、Kau'l Zuttenmeister、Ka'upena Wong、Nona Beamerなど、ハワイアン・ミュージックやフラの継承活動に貢献した伝承者たちに古くから師事してきた。
現在では、フラ、タヒチアン、ミュージックなどのショーの演出、イベントプロデュース活動に積極的にも取り組み、ハワイを代表するマルチ・エンターテイナーの一人として活躍している。

-研究者、教育者、クム・フラ、カフナなど、多方面で活躍されていますが、現在の主な活動を教えてください。
Taua:現在は、主に教育面で活動しています。最近は、ハワイアンだけでなく、世界中のたくさんの人がハワイの文化の全てを学びたがっており、教師という立場でそういった全ての事を伝えています。 39_taua_01.jpg

-年齢、カテゴリーに関係なく教えているのでしょうか?
Taua:はい。子供はもちろんの事、最近では、年配の方々も学びたがっています。 なぜならば、例えば、(ポリネシア文化の象徴でもある)ホクレアをみてもわかるように、200年もの間、航海されていませんでした。また私達もその間、ハワイの文化について学んでいなかったのです。それが今、見直され、皆学びたがっています。 子供達も、ハワイ語、チャント、フラを学ぼうとしています。そして、どうしたらカヌーで他の国までセーリングできるか等、全ての事を学びたがっているのです。

-教育の目的は?
Taua:私は、ハワイでは、人、場所、カヌーや飛行機、建物等、あらゆるものに対して祈祷を行っています。皆、祈りを求めているのです。 今、世界中がたくさんの問題を抱えており、例えば、9.11といった惨事が起き、皆、善事が起こるという事を信じたいのです。 2年前に日本に来た時でさえ、ある方が、彼の職場に対して私に祈祷を頼んできました。

-皆さんあなたを必要としているんですね。
Taua:そうではなく、徐々に皆さんが、祈りの大切さを理解してきているという事です。

-そうした世界中のトラブルを抱えた人たちに対して、ハワイの精神が役に立つという事なのでしょうか?
Taua:祈祷は私の仕事ではありません。私は、あくまでも教師であり、ハワイに住む人々に教える事もが好きです。しかし、実際には私が現在大学で教えている生徒の90%以上の人が、ハワイ以外の出身者で、皆、ハワイのマナについて学びたがっています。つまり、皆さん、ハワイのマナが役立つと思っているのでしょう。だから先ほど紹介したように、2年前日本のある職場への祈祷を頼まれたり、また、タヒチやアメリカ本土に行った時にも祈祷を頼まれたりするのだと思います。
まるでハワイのダライ・ラマの様な扱いをされますが、私は決してダライ・ラマではありません。ただ、たくさんの人がそういうスピリチュアルな指導者を求めているということだと思います。

-ホクレア号の航海にも深く携わっているそうですが、ハワイアンにとってどのような意味があるのか教えてください。
Taua:70年代後半、ホクレア号が作られました。その時は、カヌーについて知る人は多くありませんでした。私は、浸水式で祈祷をする3人のカフナの一人に選ばれました。実は、私自身もその時はカヌーについて何も知らなかったのです。でも、選ばれてから、古代カヌーについて研究を始め、航海方法についても勉強しました。そして、知れば知るほど「これはなんてすごいことだ!」と驚き、もっともっと知りたくなりました。でも、その時はまだハワイアン文化はさほど重要視されていませんでした。ホクレアが航海をし始めてから、たくさんの人がもっと知りたいと思う様になったのです。

また、その航海が始まったと同時期に、多くの人が、スピリチュアルな島であるKaho'olawe Islandでの、軍の爆撃演習地としての使用に反対を唱えるようになりました。同時に、平和を象徴するホクレアと戦争状態を象徴するKaho'olaweを守る運動が始まりました。 これら二つの事は、今日のハワイ文化にとってとても有益な事なのです。なぜならば、この運動により軍の爆撃演習地としての使用は廃止され、人々は、その島へ行き、そして、島のスピリットを感じる事ができるようになったのです。そこにはヘイアウがあり、そこで星を学ぶのです。まさにナビゲーター達が行くべきところであり、とても重要なものがそこには依然存在するのです。ホクレアはとても大事な役割をもっています。なぜなら全ての人々に海への戻り方を教えてくれているからです。 39_taua_13.jpg 星や鳥といった自然を学び、1975年から今日に至るまで、人々が知らなかったたくさんの事を学ばせてくれているのです。私も祈祷をさせてもらったのをきっかけに、ホクレアについて書き始め、40曲ほど曲を作りました。2ndアルバムは全てカヌーの歌です。 つまりホクレアは、国籍を問わずたくさんの人が学ぶ事ができる道具なのです。

私は数年前に、ホクレアのメンバーでもあり、当時日本に滞在していたタイガー・エスペリを訪ねました。その時彼は、ある日本人の航海士の方と対談をしていました。その方は、日本から遥か遠い南米までカヌーで航海したそうです。タイガーが、その彼が使っていたナビゲーションやチャートを見せてくれました。つまり日本を含む太平洋の島々の人間は皆、かつては海の航海術を知っていたという事になるのです。 ホクレアは、人々が機械の代わりに、心やスピリットを使い、海の元へ戻る手段の一つなのです。故に私にとってホクレアというのは、膨大な事を学べる素晴らしい道具なのです。 私は、ホクレアに従事する事によって、皆を一つにまとめようと努めています。

-今回の日本航海の目的は?
Taua:ホクレアのクルーメンバーにスターナビゲーションを教えてくれた師匠、マウ・ピアイルグ氏の為にカヌーを作り、それを彼が住むミクロネシアに届けるのが第1の目的でした。 それを知ったたくさんの日本の要人の方が、太平洋を渡るのなら是非日本にも来てくれとナイノアを説得したのでしょう。
また、日本とハワイのつながりをみるためだと思います。もし私が移民について教えるとしたら、ある一人の考古学者の説を支持します。それは、ハワイアンは、イスラエルを起源とし、そこから中国へ渡り、日本、フィージー、タヒチへ行き、そしてハワイに航海をして辿り着いたと言う説です。ハワイが最後の島だったのです。つまり、ホクレアが日本に来るというのは、”家に帰る”という意味でもあるのです。

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-ナイノア・トンプソン氏はどのような方なのですか?
Taua:とても聡明で、賢明なご両親のもとに生まれ、謙虚な方です。彼は、文化を共有する事をとても大事と感じており、私にもその手伝いをする事を望んでいます。

-ハワイ文化の現状についてのお考えを教えてください。
Taua:ハワイの文化は、人々の大きな興味を惹く存在になってきています。どんどん変化を遂げています。なぜならば、古い知識がなくなり、新しいものが次々と生まれて来ているからです。しかし私は、古い知識を保持しようと努力しています。古い知識が今までの文化を作り上げているわけですから、とても重要なものなのです。 私の意見は、古い文化はそのまま残すべきで、決してそれを変えるべきでないという事です。私達は、全てを失ってはいけないのです。また、ある古い文化には、人々がたとえどんな事をしようとも決して変える事が出来ないものがあります。

39_taua_06.jpg 例えば、ハワイで言い伝えられているKumulipoという地球創造の物語です。これは決して変わる事はありません。もし変わってしまったら、本来の話しではなくなってしまうからです。このKumulipoは、3時間~5時間と続く長いチャントになります。昔は、文字にもなっていなかったので、カフナが全て暗記をし、ずっとそのチャントを詠唱していました。 私は5年ぐらい前に、6人の男性が5時間このチャントを詠っているのを見たことがあります。私も50代の時に「やってみなさい」と言われて挑戦しました。とにかく、この6人の男性のチャントを座りながら見ていた時「素晴らしい!」と感動をしました。まるでハワイ語で物語を 滔々と語ってくれているかのようでした。

私にとって「ハワイアンである」というのは、どんな事よりも、最も美しいでき事であり、どんなお金よりも価値がある事なのです。本当に信じられないくらい素晴らしい価値なのです。

-日本人にはわかりにくいのですが、カフナはどういう存在ですか?
Taua:私のカフナの先生は、「カフナとは人生の生き方である」と教えてくれました。例えば、古代には、様々な種類のカフナがいました。Kahuna kalai wa'a は、森に行き木を選別するマスターになります。木を見た時に、鳥が木をつついていたら、それは良い木ではないという事なのです。なぜかと言うと、鳥がカフナに、その木には虫が住み着いて木を食べていると教えているのです。カフナは、そうした自然界のルールを知り、サインを見ることができるのです。

 Kahuna la'au lapa'auは、医者になります。彼は、全ての植物について知り、何がその人に効くか、また健康状態をより良くする呪文も作る事ができます。反対に、死に至らしめる呪文も作る事ができるのです。 カフナとは神様のような存在で、膨大な知識を備えています。全ての職にカフナというのが存在していました。また、Kahuna nuiという人は、医療、カヌー、魚、植物、建築等ありとあらゆる全ての事柄を熟知しており、カフナの中で一番トップの人になります。

-カフナはある家系で、代々引き継がれていくものなのですか?それとも、才能のある人が勉強をしてなるものなのでしょうか?
Taua:ほとんどが家系からきています。私も代々カフナの家系で、それを引き継いでいます。 カメハメハ大王は、ハワイで一番の権力者だったと知られていますよね?彼のKahuna nuiは、Hewahewaという人でした。Hewahewaももちろん家族代々カフナの家系で、お父さんから全てを学んでいました。 キャプテン・クックがハワイにやってきた時、クックの事をハワイ人たちは偉人だと信じました。その判断はとても単純な事からはじまっていて、彼がマッチに火をつけてタバコを吸い、口から煙がでてきたのを見て、びっくりしたからです。 39_taua_03.jpg

また、鏡も持ち込まれ、それまでハワイには鏡がなかったので、自分の顔が映る事に驚きました。現在であればとてもおかしな事に聞こえますが、当時はそのような事で、皆、クックは神様だと信じてしまったのです。そして何が起こったかと言うと、Ho'onaunauというヘイアウで、彼らは、クックにアヴァ・セレモニーを行いましした。そのセレモニーは、人々を最敬礼で迎える儀式となります。 そのセレモニーの最中、カフナは、敬意を表わす挨拶として、Kumulipoのチャントを詠いました。 カフナが、その人をどのようにもてなすかを決めるのです。 しかし、カフナは間違ってしまったのです。クックは神ではなかったのですから。
実は、Hewaとは”間違い”という意味なのです。カメハメハ大王とカフナ達は、キャプテン・クックについて間違った判断をしてしまいました。

しかし、ある時クックが手を切ってケガをした時に血を流しているのを見て、カフナ達は「私たちと一緒だ!」と気づいたのです。また、ハワイの人々は、釘を見つけました。それまでハワイでは全てが石で作られていました。そこで、釘はとても利用価値が高いものとわかり、クックの3艘の小さなボートから釘を盗んだのです。それをクックの配下が見つけて怒り、ハワイアンを殺害し、そのことから争いが始まり、最後にはキャプテン・クックが亡くなってしまったのです。それからHewahewaは、カメハメハ大王やカフナでさえも、つまり偉大な人たちでさえも間違いを犯すという事に気がついたのです。

-現在ハワイに、カフナは何名ぐらい存在するのでしょうか?
Taua:とても少ないですね。私が知っているカフナは両手で数えられるほどです。私のカフナもすでに亡くなっています。また、私はあまり鍛錬をしないようにしています。あまりにも莫大な事をしなければならいからです。また、カフナは、ただ勉強し、鍛錬する事しかできず、他の事は禁止されていました。結婚もできないのです。でも、私は結婚もしたかったし、子供も欲しかったので、カフナを極める道は選びませんでした。人生楽しむべきですしね。カフナは確かに強靭なパワーを身につける事ができますが、とても寂しいものなのです。だから現在はとても少ないですね。

-しかし、そういった知識を次世代に伝えていく義務があるのでは?
Taua:もし学びたい人がいるのであれば、もちろん伝えていきます。ただし、それは選ばれし人のみになります。 39_taua_07.jpg 例えば、今回急病で来日できなくなってしまいましたが、クム・フラのカポノ・カマウヌも私の選りすぐりの生徒の一人になります。また他のハラウのクムでもあるチャールズ・カウプも、生徒の中の一人になります。

私は、大会でフラを踊る事はほとんどしません。私が教えるフラはセレモニーで踊るものになります。中には、パフォーマンス用のダンサーになりたい人もいます。それを目指す事もできます。例えば、スノーバード・ベント、カレオ・トリニダッドは私の弟子のクム、ホロウア・ステンダーから数年前に卒業したばかりで、メリー・モナークで頻繁に優勝をしていますが、それらは彼らのスタイルです。 私は、大会出場目的のみのフラにしたいとは思いません。それだけになると、知識を学ぶ事がなくなり、文化の価値を見いだす事ができなくなってしまうからです。 

-日本では空前のフラブームですが、それについて感想はありますか?
Taua:日本人が、ハワイ文化を助けてくれていると思っています。しかし、多くの方から、「タウアさんは、どうして日本人の間でこんなにフラが流行っているのだと思いますか?日本語を勉強してみて、日本人は文化を失っていると思いませんか?」と聞かれることがあります。私の考えでは、「YES」です。日本人は、独自の文化を失いつつあります。
まるで日系ハワイアンの様で、2世の方々で日本の文化を知らない方々も少なくありません。それでもハワイに行くと、2世の人や日系以外の人でも、日本語を全く喋れないのにも関わらず、日本語を混ぜて話しているのを聞くと思います。
私は、日本で、日本語に英語を混ぜた新しい言葉を聞くととても悲しくなります。それは”ピジョン・イングリッシュ”ならぬ”ピジョン・ジャパニーズ”になってしまっているのです。若い世代の日本人の方々がそのピジョン・ジャパニーズを話すのを聞くと、とても残念でなりません。なぜならば、ハワイアンがハワイアン文化を長い間喪失していたのを私は見てきたからです。それと今の日本は同じ状況に見えるからです。ハワイの場合は、ホクレアのおかげで今取り戻しつつありますが。 39_taua_10.jpg

今、日本人に必要なのは、自国の文化がなくなっていくのを止める事です。 ホクレアがタヒチに行った際に、私はハラウを連れて行きました。フラを練習する事はなく、祈りや、アヴァ・セレモニーの仕方などを学び、私達が全てのセレモニーを執り行いました。 それを見ていた知事や要人の方々が、ハワイに戻ったら、私達にセレモニーの仕方やお祈りを教えてくれと頼んできたのです。 つまり、彼らはスピーチをする事はできても、セレモニー全般のやり方は全て失ってしまっていたのです。
私は、日本においても同じ事が起きていると考えています。ハワイアンフラを学べば学ぶほど、日本の文化がどんどん失われていってしまっているのです。もしフラを学ぶのであれば、同時に自国の文化を保持していく必要があるのです。その両方をするのならば、私はよいと思っていますが、ハワイアン文化やフラ、チャントのみだけになっているようで、とても残念に思います。

-一方でハワイにおけるフラの現状をどう見てらっしゃいますか?
Taua:ハワイでもフラが再認識されてきています。たくさんのクム・フラ達が、日本人のフラを見て、 「私たちもやらなくちゃ!!」と言いながらやっています(笑)。日本に刺激を受け、ハワイの文化が発展していることはとてもいい事だと思います。

ここによい事例を紹介したいのですが、ちょうど2週間前に、ウニキ(フラの卒業式)がありました。卒業するためには、あらゆるチャントやフラを習得しなければなりません。 そして、ダンサーとして2人の日本人の方が私の元から卒業しました。一人は、まさにカポノと同じレベルになれるようなクム・フラです。彼は、以前は「私は、別に学ぶ必要がない」と言っていて、 それまではコンテストに参加していました。しかし、そこで「誰のところを卒業したのか?」と聞かれ、「誰のところも卒業していない」と答えたら、「誰かのもとでまた勉強してちゃんと卒業するように」と言われ、僕のところに戻ってきたのです。
彼は、「私に対して怒っていますか?」と聞いてきたので、「君に怒る必要など全くないですよ」と答えたのです。私の目的は、人生を見つめ直し、何のために生きているのか?またなぜこうして人々に教えていくことができるのかを問うことなのです。

-例えば最近では、スノーバード・ベント、マーク・ケアリィ・ホオマルなどの若いクムがでてきて、新しいフラスタイルが確立されてきているようですが、古い伝統を守る事と新しい文化の融合についてはどう思いますか?
Taua:私達は、まず古いスタイルが何であるかを学ぶ必要があります。若い世代の人たちは、先人の人たちが教えてくれた事、それが一体どういうものだったのかを見ることができます。古いスタイルをを続けていく事もできます。それから新しいスタイルを見る事ができるのです。

私はちょうどその新古の狭間にいます。私は、新しいものを創り続ける必要もあり、それもとても重要な事だと思っています。つまり両方知る必要性があるのです。片方だけだと足りないのです。

例えば、マーク・ケアリィ・ホオマルの様に、もし新しいスタイルのみしか知らないと、皆に非難を浴びてしまい、大きなフラの世界で一般的に受け入れられなくなってしまいます。しかし、あれは彼のスタイルであり、彼の心から自然にでてくるものなのでしょう。

-これからの、ハワイと日本の関係はどうあるべきだと考えますか?
Taua:昨年キング・カメハメハ・フラ・コンペティションで、日本のハラウが勝ちました。 39_taua_04.jpg その時、ハワイのあるクムフラが、「他の国の人たちがやってきて勝ってしまうのをみるのがとても怖い。私達の文化は一体どうなってしまうのだろう?」と言っていたのです。しかし、私は、彼に言ったのです。「武蔵丸や曙も日本に来て同じ事をしているじゃないか!」と。狭い視野でいるとそれだけの事しかできません。皆さん自分の視野を広げていく必要があり、何が起ころうともそれは受け入れていくべきだと思います。ただ、決して自分の文化を失うなという事です。

-ありがとうございました。

聞き手:Kaimanahila
通 訳:村田実紀

2007年05月22日

people38

映画「ザ・ライド/ハワイアン・ビーチ・ストーリー」のネイザン監督インタビュー

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−ハワイアンスピリットを伝えるサーフ&ラブ ムービー−
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ご覧いただけましたか?見た方も、まだの方も、このインタビュー、読んでみてください
監督・脚本・製作をした、ネイザン・クロサワ氏のインタビューです。

【最新上映スケジュール】
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6月23日(土)~7月6日(金):湘南・ワーナーマイカルシネマズ茅ヶ崎
映画『ザ・ライド/ハワイアン・ビーチ・ストーリー』
2週間期間限定特別上映決定!
一般¥1700、学生(大高生)¥1500など
ワーナーマイカルシネマズ茅ヶ崎
TEL:0467-57-1000
詳しくは→http://www.glassymovie.jp/ride/
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ネイザン・クロサワ監督インタビュー

Q:この作品を撮るきっかけは何だったのですか?
N:ここ何年間か、サーフィンにはよくないイメージがつきまとっていると感じていたんだ。多分、コンテストにまつわるマーケティングや商業主義が原因だと思う。 y38_02.jpg プロ・サーキットと、サーファーたちの海の中でのスポーツマンらしからぬ態度を否定的に見てしまうのは、サーフィンが他のスポーツとは違って、本来、高貴な、精神的な究極の娯楽であり、古代ハワイアンが自然と一体化するためのものだったからだ。私たちはデューク・カハナモクの教えを通して、本当のサーフィンのスピリットを、もう一度みんなに知ってもらいたいと考えたんだ。


 

Q:映画はいつどこで撮られたのですか?
N:2001年の夏にオアフで撮影。オープニングシーンだけは、その何ヶ月か後にハンティントンビーチで行われた、本当のUSオープンのコンテストの時に撮影して、ワイキキビーチのシーンはバーバーズ・ポイントのあまり人が来ない白い砂のビーチで撮影したんだ。

Q:役者は全てオーディションで選んだという話を聞いています。彼らを選んだ理由を教えてください。
N:キャスティングはすべてハワイでやりました。
ハワイ出身で、ローカル丸出しの話し方をしていたスコットにとって、カリフォルニアのサーファーの役というのは大変だったと思う。ハワイ大学で演劇を専攻していたから、スコットはキャストの中でただ1人、役者経験のある俳優だったんだ。他の役者はカメラの前で演技したことがなかったし。デューク役のシーンは、撮影当時はミュージシャンだったし、レイファ役のパアラニはモデルをしていたし。 y38_01.jpg
一番苦労したのはデュークのキャスティング。実在の人物というだけでなく、ハワイアンの象徴とも言えるから。彼のカリスマ性や性格は、記録にも残されていて、実際に覚えている人たちも多い。そのパフォーマンスは彼らの記憶とマッチしていなければならないし、信じられるものでなければならない。デュークの役には映画の成功がかかっていると思った。撮影の2週間前になっても、デュークの役が決まっていなかったので、このプロジェクトはキャンセルになるかと思ったところ、幸運に友人がシーンを紹介してくれたのでオーディションしてみたんです。正直、オーディションはあまりよくなかったけれど、直感で彼なら絶対うまくいくと。なぜなら彼の人柄がデュークを思い起こさせたから。スポーツマンでのんびりしていて、ユーモアも持っていて、何よりも、生まれつきのウォーターマンで、すごく謙虚。映画が公開されてから、誰もがシーンの演技を絶賛してくれました。彼はみんなの記憶に残るキャラクターを作り出すという不可能に近い仕事を見事にやってのけたのさ。
 

Q:映画を撮っている中で、印象的なエピソードなどありましたら教えてください。
N:撮影でもっとも印象に残っているのは、あの重いレッドウッドのボードで波に乗る彼らを見ていると、本当に1911年にタイムスリップしたような不思議な気持ちになったことかな。 

 
Q:監督自身、脚本を書く上で一番何を大事にして書いたのでしょうか。
N:本当のハワイをテーマにすることが大切だった。アロハ・スピリットはいろいろな言い方で、異なる言語や文化で表現することが可能だと思う。でも、ハワイのストーリーとセッティングの中で表現された時こそ、その言葉は光るし、観る人も理解しやすいと思ったんだ。

Q:100年前のハワイを再現するにはとても大変な努力があったと聞いています。現地の人たちが助けてくれた話など。詳しくお聞かせください。
N:クルーは限られたバジェットで1911年のハワイを再現するという素晴らしい仕事をしてくれた。ロン・コンドンの撮影は文句なしだったし、キャシー・ヴァルドビーノは当時の服を作ってくれ、リック・ロマーのプロダクション・デザインは非常に正確。アルヴィン・カブリーナはどこからかアンティークの小道具を探し出して来てくれた。そしてジェイ・バーレンズはビショップ・ミュージアムから1911年のボードのテンプレートを借りて、レッドウッドのサーフボードを作ってくれた。
カハナモク.ファミリーの家は、実際に1911年に建てられた家を使って撮影した。まるで博物館のように、当時のままに保存されている家だったのでとても助かったよ。
 

Q:デュークはどんな人物だったと思いますか。また彼は監督初め、ハワイアンにどんな影響を与えた人物なのでしょうか。
N:残念ながら実際にデュークに会ったことはないのだけれども、ハワイの人なら誰でも彼をアロハ・スピリットの象徴として見ていると思う。彼はオリンピックの金メダリストで、有名人であったにも関わらず、常に謙虚でワイキキのビーチボーイであり続けたから。

Q:音楽がとても印象的でした。これらの音楽を選出された理由を教えてください。
N:サウンドトラックの90%はハワイアン・ミュージックです。ハワイの才能あるミュージシャンを紹介したいと思ったんだ。彼らは、もっと注目されるべきだからね。それに、キャストやクルー同様、音楽もローカルでやりたかったんだ。


y38_03.jpg Q:純粋なハワイから生まれた映画(ハワイ映画)が日本で上映されるのは初めてです。ハワイの人たちの手によって作られた映画とアメリカ本土の人たちがハワイを舞台に撮る映画との違いは何ですか。
N:ほとんどの場合、ハリウッドのフィルムではハワイを単なる背景にしか使っていない。この島に住む人々やアロハ・スピリットがそのまま映し出されていることはないんだよ。


Q:監督になろうと思ったきっかけは何ですか。普段はどのようにハワイで過ごしていますか。
N:私の家族はみんな芸術的な才能に恵まれています。全員が絵を描くんですが。兄弟の1人はディズニーのアーティストで、もう1人は建築家。僕の場合は、彼らと違う方向、つまり書くことや文学に進んだんだ。だから映画というのは、僕にとっては、ヴィジュアル・アートと書かれた言葉がいっしょになった理想的な媒体だった。ロス・アンジェルスに15年住んだ後、2002年にハワイに戻ってきて思ったことは、ここは本物のパラダイスだということ。

Q:私達・日本人はハワイが大好きです。ですが、ハワイのマナの精神を理解している人はいないと思います。この映画を見ると、ハワイの過去を知ることこそ、また全てのものに対してのリスペクトの意を知ることこそ、ハワイをもっと好きになるきっかけになるという風に感じました。監督は、この作品を通して私たち観客に伝えたかったことは何ですか。
N:アロハ・スピリットを持って暮らすと人生は、必ず良い方に変わる。"お互いに優しく、そして尊敬を持って暮らす、"これがアロハ・スピリットの神髄だと思う。1911年に戻ることはできないけれど、1911年の価値観を持ち続けることは可能だと思う。

Q:日本のお客さんに、メッセージをお願いします。
N:日系人である僕は、自分のルーツをとても誇りに思っている。日本の文化は敬意、名誉、美徳といったものを大事にする。この映画がハワイと日本という2つの文化の架け橋となり、ハワイと日本の新しい関係を築くきっかけとなれば、これほど嬉しいことはありません。

2007年4月12日         (提供:グラッシィ株式会社)

 


ネイザン・クロサワ(監督・脚本・製作)

 

y38_00.jpg 1965年2月12日生まれ。

ハワイ・ホノルル出身。

カルフォルニア大学サンディエゴ校から文学及び創作で学士号を授与され、ロスのロヨラ・メリーマウント大学からフィルム・プロダクションで学士号を受けた。アメリカ本土へ渡り以後、15年間住むが、2002年にハワイへ戻り、映画製作に携る。

ネイザン・クロサワの名はハワイ国際映画祭の開催後、地元ではもはや知らない人がいないというほど知れ渡った。それ以前は、ショートフィルム『カメハメハ(Kamehameha)』が、シネマパラダイス・アイランド・インディペンデント映画祭で、ハレ・キオニオニ賞を受賞。また1996年には、息子の死に翻弄されて現地に生活する日本人の父親を題材とした『カドマツ』でベスト・ショート映画観客賞の受賞。本作のプロデューサーであるウエスレイ・ナカモトと再び組んで、次回作への構想を練っている。今度はウクレレをテーマに挑む予定。